黒党(くろんど)まつり

~伊賀の奇祭・服部一族のまつり~

奈々の先祖伊賀家長が平安時代末期に伊賀一宮・敢国(あえくに)神社で始めたおまつりです。



 11月23日(祝)に三重県伊賀市の伊賀一宮・敢国神社で、伊賀忍者の頭領、服部一族の奇祭「黒党(くろんど)まつり」が行われます。

 平安時代末期から始まり、神事に携わる者は黒装束に身を固める慣わしです。

 毎年「伊賀流忍者集団・黒党(くろんど)」が伊賀神服部流忍術を駆使した、忍者ショーを奉納させていただいております。
団員の中には、敢国神社で黒党(くろんど)まつりを始めた伊賀服部平内左衛門家長(服部半蔵の先祖)の末裔が2人います。

 平安時代末期に、平知盛の重臣として武勇名高い伊賀服部平内左衛門家長は、
源平合戦において伊賀者を率いて安徳天皇の親衛隊長を勤めました。

 家長は、三種の神器の奪還を命じられた源義経の奇襲を再三かわすなど、
神出鬼没な活躍から「煙りの末」と呼ばれました。

 黒党(くろんど)まつりは、伊賀服部一族の私祭だったのを平家の全盛期に、家長が敢国神社で行うようになったのが始まりと伝えられています。

 平家滅亡後も伊賀服部氏主宰の神事として12月最初の卯の日に行われました。

 当時は、敢国神社の御祭神の中から、少彦名命様と金山媛命様を神輿に奉戴しまして、神社の北東約1.5kmの柘植川の花園河原にお移しし、7日間にわたって流鏑馬や、さまざまな芸能が奉納されました。

 伊賀国全域と甲賀郡の一部の豪族を仮設の大座敷に招いて祝宴を張り、一般の観覧も自由でした。

 神輿の往復の供奉者は、黒装束に身を固めるのが常例で、服部氏族およびその家人に限られ、服部氏以外で神事にあたる者は特別に服部の姓を与えて参加することを許したといわれます。

 この黒装束が忍び装束でないことは、忍者の全盛期である天文年間に、黒党まつり用の黒装束を奈良の衣装屋から借りた記録が見られることからも伺えます。

 黒装束は、伊賀服部氏のルーツを秘めていると考えられます。

 最盛期には伊賀国最大の祭りでしたが、費用がかかることから戦国時代になると途絶えがちになり、やがて廃止されました。

 平成7年(1995)に、当時の宮司の熱意により、450年ぶりに復興されました。

”黒党(くろんど)”という名前(言葉)を私なりの形で受け継ぎ、広めていきたいという思いから「クロンド奈々」という名前で活動させていただいております。